『転回期の政治』を読みました

 

『転回期の政治』(岩波文庫)読みました。

 

転回期の政治 (岩波文庫)

転回期の政治 (岩波文庫)

 

 

 

宮沢俊義が戦前期の昭和時代について、憲法学者の視点から当時の政治を論じた論文集(時事評論集)です。以下私が読み取ったことをことと、その感想を書いていきます。

評論は、主に4つのテーマからなっていました。第一は独裁政の性質の探究、第二は戦前日本の独裁政の原因の探究、第三は日本の独裁政のための政治構造改革の俯瞰、第四は戦間期ヨーロッパ(特にドイツ)の独裁化の俯瞰です。

 このブログでは、私にとって印象深かった第1と第2のテーマについて取り上げ、感想を書いていきます。

 第一のテーマについて、独裁政を「独裁者がすべての政治的権力をその手に独占し、その他の人間はすべてこれに絶対的に服従すべく定められている政治観」(23ページ)と定義し、民主政を「絶対的・不変的な『権威者』の存在を否認し、『権威者』を構成しようとする政治観」と定義した上で、独裁政は、民主制の根本原理である自由主義(「リベラリズム」と言い換えてもいいかもしれません)を否認するために民主政の与える権威を利用する性質があると説きます。つまり、国民意思というものは、独裁政の「権威」の基礎となり、国民に与えられている自由を否認する理由にするということです。

 ところで、71ページにある「自由主義はその本質において個人主義的であって社会的でなく、それ自身何らの国家・政治形式ではない。(中略)自由主義は民主政の政治的基礎を破壊し始める。」という記述から、自由主義を破壊しようとする勢力の主張が見えてくるような気がします。つまり、民主制を支える根拠は自由ではなく、独裁者の意思そのものであること背理を使って証明しようとしているのです。そのため、宮沢は、73ページで、言論の自由、科学の自由、信仰の自由は民主政ではリベラル(自由主義的)なものとされているがこれは民主政に欠くことのできない生命原理であるため、自由主義を欠く民主政はもはや民主政ではないと反論しています。結局、独裁政を推し進めるこのような主張は空疎なものとなっていると結論づけているのでしょう。

 第二の点について、宮沢はこの原因となったのが3つあると結論づけています。まず、1つ目に、内閣の意思で官吏(公務員)を自由に罷免できることができたことにより、官吏は政党(立法府)と結びつき、政治(立法)と官吏(行政)が一体化してしまったこと、2つ目は、大衆(政治に関心を持たず、考えも意見も持たない国民)が不利な政策を無批判に受け入れてしまったこと、3つ目に、政党が1か所に独占されたことを指摘しています。これらの動きはどれも、一点に権利が集中することを意味しています。

 私は、この宮沢の指摘は100年経った今でも当てはまることだと考えます。いつの時代でも、どこの国でも、一点に権利が集中した場合の政治というのが独裁政だからです。日本でリベラルといわれる人たちが恐れていることはまさにこのような状況であり、独裁政の防止のために主張を行っていると考えれば、合点がいきます。

 このように独裁政の国に日本がならない為にも我々国民は政治に関心を持つべきではないでしょうか?

 

 

転回期の政治 (岩波文庫)

転回期の政治 (岩波文庫)