『ぼくの村は壁で囲まれた』を読みました

7月になり夏らしくなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか。暑苦しくて、気分が滅入るときもありますが、本を読みながら、気ままに過ごしています。

さて、今日僕が読んだ本は、高橋真樹 著『ぼくの村は壁で囲まれた―パレスチナに生きる子供たち』(現代書館)(以下、「本書」と呼びます)です。この本を読んでわかったこと、考えさせられたことについて書いていきます。

 

ぼくの村は壁で囲まれた―パレスチナに生きる子どもたち

ぼくの村は壁で囲まれた―パレスチナに生きる子どもたち

 

 

 

パレスチナ問題に当たって考えてほしいことがあるのですが、東京23区の境にコンクリートの壁が設けられ、23区のいずれかの区にいる人は他の区に自由に移動できない状況があるとしましょう。つまり、渋谷区にいる人は新宿区に、新宿区にいる人は渋谷区に行くために、警察官か自衛隊員にマイナンバーを示し、警察官、自衛隊員の気まぐれで通してもらうしか方法がない日本になったら、あなたはどうしますか?または、東京都民(先祖代々東京都に住んでいる人)であるからという理由のみで今まさに住んでいる住居を東京都に破壊され、立ち退きを要求されたらどうしますか?

移動の自由、経済活動の自由の侵害であるとして徹底的に抗議しますか?それとも、従わざるを得ないと思ってあきらめ、埼玉県にでも逃げてしまいますか?

このような人権問題、自由の侵害というものは日本ではなくイスラエルで実際に起こっています。この問題というのは、一般に「パレスチナ問題」と言われるものです。

 

では、パレスチナ問題はなぜ発生したのかということから説明しましょう。

このパレスチナ問題が発生したのは、シオニズム運動と、イギリスによる三枚舌外交、ドイツによるホロコースト政策など様々な事情がありますが、パレスチナ人に対する人権侵害が現実に行われたのは、1948年のイスラエル建国からのものです。このとき、ユダヤ国家建国のために「民族浄化」として、アラブ連合軍対イスラエル軍による第一次中東戦争が勃発し、パレスチナ人の多くが、難民となってしまいました。しかし、パレスチナ人の一部はヨルダン川西岸地区、ガザ地区に残り、居住していますが、第三次中東戦争以降これらのパレスチナ人による居住区の支配権はイスラエル政府にあるとされています。

そのため、パレスチナ人はその居住区から自由に移動できず、これらの占領政策に反対の立場を表明すること、自分の故郷に帰るために抗議すると、逮捕・拷問による制裁が加えられます。

しかも、これらの占領政策はイスラエル建国から70年経とうとしている今になっても、未解決のままですし、イスラエル政府は、2000年から分離壁を建設し始め、パレスチナ人を追い出そうとしています(2008年、2012年、2014年のガザ戦争におけるパレスチナ人居住区に対する空襲などを捉えて、虐殺ではなかろうかとも考えられています)。さらに、このようなイスラエル政府による分離壁の建設について、国連は、2003年に国連決議により壁の建設中止と撤去を求める勧告を出していますし、2004年には国際司法裁判所による壁の建設中止は違法であるとの勧告も出されています。

これらの点から、パレスチナ問題はイスラエル政府による人権侵害問題であると考えられていますし、国際法違反の政策であるといえます。

 

しかし、一方で、以下のような疑問も出てくるのではないかと考えられます。

パレスチナ問題とはあくまで宗教問題ではないのか?

イスラエル建国はナチスホロコーストによって、ヨーロッパにいられなくなったユダヤ人のための政策であり、善ではないのか?

パレスチナ人がテロリストとして扱われているのに、なぜパレスチナ人に同情せねばならないのか?

まず、①についてですが、本書のはじめにで、「多くの場合それは誤解に基づいています。」と断言されています。歴史上において、中東のユダヤ人が差別された歴史はなく、当事者であるイスラエルユダヤ人も歴史問題としてではなく、外交上、安全保障上の問題であるとしてとらえられています。本書によれば、ユダヤ人の間ではガザ戦争はテロリストに対する制裁ととらえる人が多数を占めているようですし、そもそも、シオニズム運動というのも、ユダヤ人がエルサレムに帰ることを目的とする運動で、アラブ人との宗教対立、アラブ人による宗教差別という問題は出てきません。そのため、パレスチナ問題を宗教紛争ととらえることは間違っているのではないでしょうか?

次に、②についてですが、これも誤解に基づくものであると考えられます。なぜなら、ユダヤ人国家建設は20世紀初頭、第一次世界大戦前に計画されており、ユダヤ人国家建設はホロコーストからの避難のためではなく、ユダヤ人による国家建設計画のためのものだからです。また、本書によれば、シオニスト指導部とナチスとは、協力関係にあったことも根拠の一つとしていますし、ホロコーストからイスラエルに避難してきたユダヤ人は「不良品」「死に損ない」などの蔑称で呼ばれていたとされているからです。ですので、ホロコーストによってヨーロッパにいられなくなったユダヤ人のための政策であるとするのは一面しか見ていない見方ではなかろうかと考えられます。

最後に、③についてですが、確かに、イスラエルに対し、武力を用いて、抗議の意思表示をし、破壊活動を行うパレスチナ人がおり、テロリストとして見られるのも無理はないものと考えられます。しかし、テロリストであるからという理由で、パレスチナ人の自由を奪っていい理由にはなりませんし、ましてや、虐殺を行っていい理由になんてなるはずもありません。さらに、本書によれば、イスラエル人の中でも人道の見地からパレスチナ人に対する加害行為が正当なものなのかという点について疑問を持つ声もあります。そのため、パレスチナ人に同情するようにとまでは言えないものの、イスラエルによるパレスチナ人に対する加害行為は人道的見地から正当化できないとは言えるのではないでしょうか。

 

このように、現在パレスチナ問題として語られることは誤解があり問題点の正確な把握として不適切であると考えさせられました。人権や、パレスチナ人の自由の見地から考えたときになぜ、「問題」と言われているかが見えてきて、正確な理解につながるといえるでしょう。

 ところで、この本を読み始めたきっかけに元町映画館でのパレスチナ映画週間での岡真理さんのトークセッションがあるのですが、そこでは、これまでとは違った観点からパレスチナ問題とは何かということ、とともに、パレスチナ問題について考える入門書として本書があることを教えていただきました。この本書との出会いから、国際法、国際政治について考える足掛かりにしていきたいです。

ぼくの村は壁で囲まれた―パレスチナに生きる子どもたち

ぼくの村は壁で囲まれた―パレスチナに生きる子どもたち

 

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パレスチナ新版 (岩波新書)

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世界史の中のパレスチナ問題 (講談社現代新書)