『人間はどこまで動物か』(岩波新書)を読みました

そろそろ梅雨入りとなりそうですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。

 今週は、アドルフ・ポルトマン著、高木正孝訳『人間はどこまで動物なのか』(岩波新書)を読みました。(法学関係以外の本を久しぶりに読んだような気がします)

人間はどこまで動物か――新しい人間像のために (岩波新書)

人間はどこまで動物か――新しい人間像のために (岩波新書)

 

 

〔概要〕

この本は、1944年に初版が出版され、1961年に岩波新書から、日本語訳版が出た本で、動物学者が、新しい人間学を打ち立てようとした際の画期的な著作です。

この本が作られた経緯は、進化論が、人間もまた動物であり、サルから進化したものであると説いたことにより、その後の20世半ばに人間観を動物化し、ファシズムの主張の支柱とされました。そのため、戦前、戦時中にこのようなナチス的な生物主義に対する批判としてこのような研究がなされることになり、小冊子として、この本が作られました。そのため、この本は戦後、自由主義国の人間学、人間観を築いた一つの基礎と考えられています。

この本の内容は、動物と、人間の生態の違いから、人間の人間らしさを追求した本です。そのため、人間の誕生から死までの成長過程、変態過程を追いながら、それぞれの過程の各段階に他の哺乳類との人間独特の違いがあると説明しています。例えば、本書84ページ以下によれば、「動物では、あらゆる本質的な行動様式が、あの『本能』とよばれる生物学的な前提から規定されているのに、人間の場合では、最も本能的といわれる行動の部分、例えば性の領域においてさえ、個人的な決定という、はるかに自由な選択にまかされている。」と説明し、人間と他の動物との違いを述べています。

〔感想〕

 人間は動物であり、やはり弱肉強食の世界におかれていることを批判する点で、非常に有用な著作ではないかと思いました。私はこれまでの学習で、人間はサルから進化したものであるため、本質は弱肉強食であり、適者生存であり、弱いものは死に、強いものだけが生き残るということが人間の本質的部分であるとするとの考えにどこか納得のいかないものがありました。なぜなら、人間は社会の中で生きることを前提としており、その中で生きるならば、他の人間間での殺し合い、奪い合いをしないあるいは、自発的に踏みとどまるはずだからです。しかし、人間が弱肉強食を前提として生きているとすると、人間社会などあるはずがなく、その内部での決まりもないはずですが、現実の人間社会はそうなっていないからです。

 「強いものならば何をしても許される。」、「強いものならば国家からの干渉も受け付けることはない。」との考えがはびこる現代ですが、人間は弱肉強食の世界を生きているのではないこと、そのような考えはかつて全体主義国家を生み出したことを改めて認識しなくてはならないような気がします。

人間はどこまで動物か――新しい人間像のために (岩波新書)

人間はどこまで動物か――新しい人間像のために (岩波新書)

 

 生物学も政治に影響を与えるんだなぁと再認識させられますね。