映画『裁き』を観ました

久しぶりの更新になってしまいました。

 今回は最近見た映画『裁き』(原題:court)の感想を書いていきます。

 

 

裁き [DVD]

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 この作品のあらすじは、民謡歌手ナーラーヤナン・カンブレが下水清掃人は自殺べきであるという内容の歌を歌い、下水清掃人が自殺することを促したという理由により逮捕され、裁判にかけられた。その裁判の中で弁護人は無罪を主張していくが、検察官は何としてでも有罪の心証を得ようとするというものです。

  映画を見る前は、刑事事件の裁判において、カンブレの歌は自殺を幇助するには役に立たないものであること、役に立たないとしてもカンブレ自身に幇助の故意がなく無罪となると主張していくのかと考えていたのですが違いました。

 まず、映画を見る前にインドの刑事裁判は日本の刑事裁判の勾留手続と異なり、保釈を求める抗告ができるため、その保釈を求める裁判においてカンブレが犯罪を行ったのではないことを主張していることです。この点については、日本の保釈についての裁判ができないことと異なり、インドの刑事手続について考えさせられるいい題材になりました。

 次に、自分はこの映画を見る前に、インドの刑法が日本のものと同じなら、Winny事件(最高裁平成23年12月19日判決刑集65巻9号1380頁) 同様カンブレの歌が自殺の幇助に役に立たないこと、カンブレ自身に幇助の故意がないため責任阻却されると主張するのかと考えていたのですが、違いました。

 この映画の中の下水清掃人は自殺したのではなく、労災すなわち、有毒ガスの充満する下水道内において、ガスマスクなどの装備を整えることなく下水道管内の勤務をさせられ、下水道内のガスにより死亡した可能性があるというものです。映画を見る前に、偏見を持った状態で見てしまい、驚かされてしまいました。

 映画の結末を書いてしまうと、カンブレの保釈は認められるのですが、今度は反政府的な歌を歌ったという罪によりテロ防止法違反の罪により逮捕されてしまいます。この辺りは、政府にこれらの法律を恣意的に使う権限を与えてしまうことの恐ろしさをありありと見せてくれるため、いい題材となっていると思います。

 

 また、この作品はインドの司法問題、人権問題などを明らかにしていく点で非常に興味深かったです。

 例えば、インドの警察は裁判において偽証を行うこと。また、そのための人員もいること。さらに、裁判において、釈放されても、すぐに別罪でつかまり、再び保釈のための裁判をやり直されることです。これらは、インドにおける人権軽視の問題や、裁判の不公平、不公正に関わる問題で、これらの問題を克服すべきであることを示していると思います。

 また、この映画を一度見ただけでは気づくことのできない点もたくさんありました。それは、インドにおける差別に関わる問題です。

 例えば、今回死亡した下水清掃人は不可触民(インドのジャーティの最下層の者)であり、仕事においても、人間同様の取り扱いはされないこと。また、逮捕されたナーラーヤナン・カンブレ本人も身分が低いため、裁判においては非常に重たい罰を受けるべきことになること(映画の中で、検察がこういう者は数回目の期日で懲役20年が確定する者であると言う場面がある)です。このあたりについても、インドの社会問題について興味を持ついいきっかけになるのではないかと思いもう少し調べてみることにしたいです。

 

 この映画を見て、インドの刑事手続はどうなっているのか非常に興味がわいたので、アジア法(特にインド法)にも興味を持ってみようかと考えるようになりました。まずは、以下の本を読み始めることから始めてみたいです。

 

アジア法ガイドブック

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