環境法まとめメモ(2)

環境法について書いていく。この記事は、環境法(第2版) 有斐閣ストゥディア

を参照して書いています。

環境法 第2版 (有斐閣ストゥディア)

環境法 第2版 (有斐閣ストゥディア)

  • 作者:北村 喜宣
  • 発売日: 2019/03/07
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 環境法の目標

 北村は環境法の目的を「持続可能な発展の実現」と「環境公益の実現」にあるとしている。

 1960年代くらいのかつて環境法の目的は、「生活環境の保全と産業の健全な発達の調和」にあった。そのため、環境保護を実現するための法政策として、必要最小限規制が行われた。そのため、当時のばい煙防止法の特徴は、①個別に規定された地域だけが対象、②規制対象となる物質が最小限、③ばい煙発生施設が基準違反をしても、すぐに刑罰が科されるのではないという特徴があった。1960年代くらいのかつての環境法の目的規定は、経済発展に調和した環境保護を目的としていると解さざるを得なかった。

 1970年代くらいになると、環境法の目的は「環境保護と調和する範囲内での経済発展」に改められた。そのため、大気汚染防止法水質汚濁防止法において総量規制が図られ、環境負荷の量を規制していった。

 また、1980年代くらいから、将来世代や生態系の保護も目的とした「持続可能な発展」を目的とするようになった。この「持続可能な発展」の特徴は、①将来世代のニーズへの配慮を第一義とすること、②人間生活と環境の結びつきの強さを重視すること、③環境資源の有限性を認識したこと、④経済や化学の健全な発展が不可欠であることである。

環境権・環境公益

  「良好な環境を享受する権利」として日本国憲法上環境権が保護されているとの見解が提唱されている。このような環境権が提唱されたのは、公害による生命・健康被害が生じる前に、環境汚染・環境破壊を食い止めるためである。

 すなわち、環境権を人格権として保護することにより、公害があった場合に人格権に基づき郊外の差し止めを行うことを考えていた。

 しかし、環境権という権利の中身は多様であり、環境に対して関心を持つものは、個人だけでなくその地域の住民や将来世代の者など多数の者が関心を持つものであるから、環境権を人権、人格権として保護しすべての人を代表して訴訟を提起することはできないため、裁判所は環境権を人権、人格権として認めていない

 ただし、個人の健康が実際に害された場合には生命身体の侵害として損害賠償請求を認めている。この場合は、環境権という多数の者がかかわる権利ではなく、個人の権利の侵害があるからである。

 そのため、今では、「環境はみんなのものである」ということを前提として、良好な環境が維持されることは社会共通の利益であると把握して、個人がどのようにかかわるかを考えるべきであると考えられている。そのため、環境権に代わって環境公益という考え方が出てきた。

 環境公益とは、市民・NPO・事業者・行政・議員などの関係する主体の参画を通じて、環境はどのような状態であるべきかが議論され合意形成が図られた内容の社会的利益のことを指す。

 憲法が環境を保護することを目的としていないというのではない。人間と環境が不可分一体のものであること、人間の生命や身体を害する経済活動を経済的自由権が保障していないこと、憲法25条1項に健康で文化的な最低限度の生活を保障していることから、生活できるほどの環境の質の維持が目的とされていることから、環境保護憲法は認めているといえるとされている。

環境法の基本的な考え方

  環境保護のための費用負担をだれが行うか

 →原則として、汚染活動を行った者、しかし、環境が悪化されることにより困る人、行政が負担することもある。(汚染活動を行った者に環境の浄化を行う能力がない場合には例外的に市民や行政の負担となるのだろう。)

 被害の未然防止

 →過大な環境負荷が発生すると科学的に予想される場合には、環境容量の範囲内に負荷を抑え込むという考え方がある。これを未然防止原則という。

 ただし、科学的知見がない場合であっても、必要な対策を講じるべきとする考え方がある。これは予防原則といわれ、ひとたび問題が発生すれば、それに伴う被害や対策コストが非常に大きくなる場合や、長期間にわたる極めて深刻な、あるいは不可逆的な影響をもたらす場合に限定されている。