池井戸潤著『シャイロックの子供たち』を読みました

池井戸潤著『シャイロックの子供たち』(文春文庫)を読みました。

たまには小説を読んで人の機微についても学ばないとと思って読んでみることにしました。

 

 この本は、都市銀行の東京の小さな支店で起こる様々な事件をあるときはパワハラ(暴力系)上司の視点から、あるときは女子行員の視点から描くことにより、職場、仕事に関する人間模様を描いた作品です。

 まず、この本は目次からはオムニバス形式の作品のように見えます。しかし、一銀行支店の5億円の不正融資という背任事件をそれぞれの人の観点から、どういう犯罪が起こったのか、犯人は誰なのか、なぜそのようなことをしたのかという一つの物語を解き明かしていくミステリー作品となっています。

 最初の段階では、パワハラ上司が自分の意思に従わない部下を殴って警察沙汰になるという小さな話で終わりのオムニバス形式の作品ではないかと思ってしまいます。しかし、読み進めていくうちに章の関連性が分かるなどして、オムニバス作品に見える章ごとのつながりが見え、最終的に5億円の不正融資の事実が明らかになり、犯人が誰なのか、どの様な人物なのかが見えてくる形になっています。

 そのため、まず私はこのオムニバス形式のように見える一つの物語というところにこの作品の面白さを感じました。

 次に、このテーマである、仕事と正義の対立、葛藤ということについて考えさせられました。最初に若手の銀行員が投資信託を「客のためにならない」として営業をしなかったため、殴られ、銀行から退職していく場面があります。この最初の時点で、銀行、仕事の理論と正義が全く違うことを端的に説明したうえで、あとで、仕事の論理で昇進のための活動を行い犯罪に手を染めていく人間の様が描かれており、仕事と正義の対立、葛藤というテーマが描かれていました。

 果たして、仕事とは昇進とは、人間らしさ、人間としてあるべき姿とは何なのか、人間らしく生きるために「正義」の論理を通して生きるべきなのか、人間らしく生きるために「仕事」の論理を通して生きるべきなのか考えさせられます。ただ、筆者としてはどちらかといえば、仕事の論理では生活の安定は手に入るかもしれないが、「人間らしい生き方」にはつながらない、正義を貫き人に殺されるか、銀行をやめ公認会計士にでもなる方が人間らしく、幸せではないかということ言いたいのではないかとも思います。

 そのため、この仕事と正義を考えるうえでも非常に面白い作品になっていました。

 私としては、この作品のこの二点について興味深いと感じました。

 

 

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