平成31年司法試験予備試験憲法に関する言い訳

投稿した平成31年司法試験予備試験憲法についての言い訳を書く。

だからダメなんだなどという意見はコメントにお願いします。

 

 

houkashumi.hatenablog.com

 

まず、元となった最高裁平成8年3月8日判決(剣道受講拒否事件)は確かに、裁量逸脱について論じている。そのため、この予備試験憲法についても裁量逸脱で書くべきではないかという疑問がある。

しかし、元となった判決とこの問題の異なる点は原告の被った不利益であり、元となった事件では原級留置処分と退学処分の効力について争われているが、この問題では内申書の評定について低い評定が与えられた点が問題となっている。

 また、元となった判例によれば、「退学処分は学生の身分をはく奪する重大な措置であり、学校教育法施行規則13条3項も4個の退学事由を限定的に定めていることからすると、当該学生を排除することが教育上やむを得ないと認められる場合に限って退学処分を選択すべきであり、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要するものである」ことから、学校に与えられた退学処分の効果裁量について慎重に審査している。そのため、重大な処分でもなく、不利益事由が限定的に書かれていないと考えられる内申書の評定について、判例の規範がそのまま妥当するとは考えられない。

 そう考えると、裁量逸脱審査に持ち込むことは可能であると考えられるものの、この場合、水泳を必修とし代替措置を認めなかったことをひとまず合理的としたうえで、評定の判断に不合理がなかったかをもとの判例と比較して緩やかに審査することになる。

 この観点から検討すると、体育活動に参加しなかったということはいくら信仰に反することを強制させられる面があるとはいえ、不利益な事由として考慮せざるを得ない。そうすると、評定の判断に不合理な点はなく乙中学校の判断は違法であるとは言えないと判断することになる。

 こうなると、Xの要望どおりの主張はできなくなるのであるから、題意に合わない。そのため、評定として2をつけたことが裁量を逸脱したか審査するのではなく水泳を必修とし代替措置を認めなかったことが憲法20条1項に反するかを検討したほうがより良い主張となる。

 むしろ、最高裁平成23年5月30日判決(君が代斉唱拒否事件)に近づけたほうがいいのではないかと考えられる。