司法研修所編『裁判員裁判における量刑評議の在り方について』を読んで量刑判断に関するメモを作ったのでおいておきます。
情状弁護をする場合や、被害者側弁護士として量刑を重くしたいというときに使えると考えました。
量刑が重くなる事情については赤、量刑が軽くなる事情については青、量刑で考慮できない・重くなる事情にも軽くなる事情にもならない(と私が考えるもの)ものは緑で色分けしておきます。
量刑の基本的な考え方
「被告人の犯罪行為に相応しい刑事責任を明らかにすること」が量刑の考え方である。
量刑において考慮される事情というものは、基本的には、
①法がどれほど強く守ろうとしている法益なのか、②法益をどの程度毀損する行為を行ったのか、③どの程度危険性の高い侵害行為をしたのか、④その法益を侵害したことについて被告人をどの程度非難することができるのか。
という観点からである。
→そのため、大きくは、処罰の根拠となる処罰対象そのものの要素、当該意思決定への非難の程度に影響する要素から検討される。
そして、この結果の要素と、責任非難の要素というのは、どちらが主で、どちらが従というものではない。(しかし、犯情→一般情状という観点から量刑を検討すると、結果の要素からまず検討することになりがちだと思う。)
量刑というのは刑法の本質ともかかわるため、刑法の本質をどのように理解するかによって、量刑をどのように判断するのかということが異なる。(刑法の目的は刑罰を用いることによって、国民一般を威嚇することにあるのか、刑罰に処せられた者が二度と同じ犯罪を繰り返さないようにするためにあるのか)
→これはこの本の中で繰り返し出てくるため、押さえておきたい。
当事者つまり、検察、弁護人の量刑事情についての主張立証について
当事者の量刑意見の位置づけについて
→検察官の求刑、弁護人の量刑意見はあくまで参考意見である。これに拘束力はない(ただし、尊重はされる。)。
そのため、検察官が懲役7年を求刑して裁判官が懲役10年を判決することができるし、弁護人が懲役1年の量刑意見を述べて、懲役1年執行猶予付きと判断することもできる。
量刑についての主張の在り方について
量刑事情を主張するにあたっては、それが量刑に影響する理由について具体的、説得的に述べなければならない。(なので、「被告人は若年です、犯行も計画的ではありません。これらを考慮して判断してください。」ではいけないのである。)
量刑において考慮される事情
1.「行為態様」
残忍性、巧妙性、執拗性、危険性、類似性、反復性、模倣性により、行為態様の悪質性が評価される。(悪質であれば、量刑を重くする方に行くし、悪質でないならば量刑を軽くする方に行く。)
理)法律上保護された利益を侵害する度合いが大きく、法律上保護された利益に対する軽視の度合いも大きいため、これらの事情があれば、量刑を重くする方に働く。
2.既遂結果
(1)犯罪結果の大小、数量、程度により量刑が判断される(基本的にはこれらの事情は量刑傾向で織り込み済みである。ただし、犯罪結果の数量は誰が見てもわかるが、大小、程度は立証などで説明すべきかもしれない。)。
理)法律上保護された利益の侵害の程度にかかわるため
(2)未遂であることは量刑を軽くする方向に働く事情である(ただし、基本的には量刑傾向で織り込み済み。)。
理)法律上保護された利益を侵害しておらず、その危険性しか発生させていないため。
(3)犯罪構成要件外の事情(放火によって人が死亡したなど)についても主に刑罰を重くする方向で量刑判断に影響することがある。量刑判断に影響しない事情となることもある。
ただし、不告不理の原則に反しかねないという問題があること、量刑というものは基本的には法律上保護された利益をどれほど侵害したのか、どれほど責任非難できるのかという観点から判断されるため、量刑判断としてはあくまで従たる位置づけである。(最高裁昭和42年7月5日判決などを参照すること)
→この事情は、構成要件外の事情を量刑事情として主張するのか、それを量刑事情と考える根拠は何か、その主張が裁判官の量刑判断に不当な影響を与えないかという点についてきちんと検討したうえで、(主に検察官として)主張を行う必要がある。
3.動機や犯行に至る経緯
(1)動機の悪質性というものは、反社会性、私利私欲性、情欲性、無目的性により評価され、量刑を重くする方向に働く。
理)法律上保護された利益に対する軽視の程度が大きくなるため、量刑で考慮される。
→個々の事件で、動機として主張される事情がいかなる理由でどのように量刑に影響を及ぼし、その判断が量刑判断のポイント・分岐点になるかを(主に検察官は)的確に伝えられるようにしなければならない。
(2)犯行に至る経緯については内容次第で刑を重くする方向に働く(軽くする方向にも働くかもしれない)
理)内容次第では、法律上保護された利益の軽視の度合いが強いということになるため
→被告人の意思決定に対して、どのように、あるいはどの程度影響したのかという観点から考慮されるべきであるため、犯罪行為の意思決定に密接に関連するものかどうかという観点から主張を行う必要がある。
ただし、単なる事実経過や、道徳的・倫理的観点からの被告人の生活状況の芳しくない様子などは考慮されない。
したがって、被告人が暴力団員である、風俗嬢であるということは量刑判断に影響しない。また、夫婦関係が不仲である、生活費はほぼパチンコに使ってしまう人であるという事情も量刑には影響しない。
4.計画性
計画性の有無、程度に対しては量刑を重くする方向で考慮される。
理)計画性によって、法律上保護された利益の侵害の危険が高まるうえ、法律上保護された利益を軽視する意思の程度にもかかわるからである。
ただし、計画性があるかないかというのは当事者で争いが生まれる元となる。
→犯罪行為の意思決定にかかわる事情をトータルとしてみて、その事件の具体的事情の下でどの程度非難できるかを個別に検討し、主張することが必要である。
なお、単に「計画性がない」というのは量刑を軽くする事情にはならない。(あくまで、「計画性がある」への否認として主張されなければ意味がない)
5.「被害者の落ち度」
「被害者の落ち度」というのは内容によっては量刑を軽くする方向に働く。
理)被害者の法益の放棄・処分にかかわるため、被告人が法律上保護された利益を軽視したと言える程度を軽くするため
なので、例えば、以下のような事情は考慮できる。
①被告人の反発が当然予見できるのに、被害者が挑発・誘導を行った(被害者の法益の処分)、②危険を十分に承知の上で危険な行為に参加した(被害者の法益の処分)など。
「被害者側の落ち度」として、被害者側の言動により、被告人が一過的な恐怖、驚愕、狼狽等の状態に陥り、犯罪行為の意思決定を行ったという事情も考慮できる。
理)犯罪行為以外の行為に出ることが期待されなくなるため、法律上保護された利益の軽視の度合いが小さくなる。
ただし、被害者の防犯に不備があったことなどは被害者側の落ち度として考慮できない。
→(主に、弁護人としては、)「被害者側の落ち度」として取り上げられる被害者の具体的な事情が、当該事件で量刑事情としてどのように位置づけられるかを量刑の本質を踏まえて検討し、他の量刑事情とトータルに判断したうえでその事件をどのようなものとしてみるかを説得的に提示することが求められる。
6.「犯罪の社会的影響」
「犯罪の社会的影響」というものは量刑の本質との結びつきさえあれば、量刑事情となる。
→「犯罪の社会的影響」については、行為態様の悪質性、結果の重大性、動機の悪質性等に還元して考慮するため、(主に検察官としては)これに即した主張立証を行わなければならない。
同種犯罪の抑止の観点(一般予防の観点)から主張する場合には、「刑罰についての社会の関心が高まっている」というのはそれだけでは量刑を重くする事情にならない。
→仮に主張するなら、量刑の本質と結び付けなければならない。
例えば、「被害が大きいと報道されていることを知りながらあえてやった」など責任非難の程度に結び付けること。
7.被害者の被害感情、被害回復について
(1)精神的被害
①犯行により被害者に生じた精神的ダメージ、②被告人に対する処罰感情の二つがある。
①に関しては構成要件外の結果であるため、説明はほかの項目に譲る(構成要件外の結果であるため、考慮されにくい)。
②に関しては、被害感情として被害者側に表れた影響すなわち、危険性や結果の表れの一つである(これも同様に構成要件外の事情)。
→被害者側の処罰感情については、量刑上重視することは難しい。
しかし、量刑判断に当たっては、被害者や遺族がそうした被害感情等を述べる背景の事情をよく見極め、被害者等の置かれた立場、状況等をよく理解することが重要である。
(2)被害感情の宥和
被害感情の宥和というのは被害者保護のための望ましい行為を促すという観点から量刑を軽くする方向で考慮できる(犯罪被害の結果に結び付けるということも考えられないではない)。
ただし、被害感情の強弱を量刑に影響を与える事情として考慮することには裁判に感情を持ち込むとういうような問題があるため、慎重になる必要はある。
→量刑判断においては、被害感情が宥和するに至った客観的な事情に着目して量刑に反映させていく必要がある。
(なお、減軽嘆願書の送付が量刑上有利に考慮されなかったという千葉地裁平成22年7月16日判決が参考になるが、本書に引用されているのみで公開されていない。)
(3)被害弁償・示談
被害弁償や示談があったことは量刑を軽くする方向に働く(弁償を行った者が被告人と一定の関係を持つものであっても)。
理)違法な結果が事後的に減少している、被害回復により刑罰を科す必要性が減少している、被害回復を促すという見地から刑事政策上有利な事情として考慮されるなどの説明が考えられる。
ただし、公的な保険、保証制度によって被害者に金員が支払われたという事情は量刑を軽くする事情として考慮できない。
理)量刑判断の本質と結びつかないため
8.犯罪後の態度
(1)犯罪後の不行状(犯罪によって得た金の使い道、だらしない生活態度、犯人の証拠隠滅など)
犯罪で得た金をパチンコに使って持っていないとか、犯罪に使った証拠のドライバーを山に捨てたという事情については、量刑上考慮されない。
理)法律上保護された利益の侵害の程度にかかわらないうえ、基本的には法律軽視の度合いの強さにかかわらない。
しかし、このような事態が、反省が乏しいとして、特別予防(再犯防止)の観点から量刑を重くする方向働く事情となることがある。(ただし、仮に考慮されるとしても、過度に重視することはできない。)*被告人が反省していないという事情は量刑を重くする方向で考慮できないという次の項目の内容に反するため、ここは考え直す必要がある。
(2)被告人の反省
被告人の反省がある場合には、量刑を軽くする事情として考慮される。
理)再犯防止、特別予防の必要性にかかわるため
ただし、反省していないことは黙秘権保障の観点から、それ自体から直接量刑を重くする方向で考慮することはできない。(あくまで弁護人の主張で反省が主張された場合に否認として使えるということだろうか?この点について、本の内容に矛盾があるようだ。)
→なお、反省しているかどうかというのは内心の問題であるため、「反省しています」という馬鹿でも言える一言で、量刑を軽くする事実として考慮することはできない。
そのため、実際の裁判では、反省の有無・程度だけではなく、被害弁償や示談の努力の真摯さ、被害者らへの謝罪の有無、その内容、時期、自首、警察への出頭状況、真実解明のための積極的協力など、客観的で具体的な事情をトータルで考慮して、被告人の特別予防の必要性の有無・程度について弁護人は詳細に主張立証できるようになっておかなければならない。(個人的には捜査協力の有無を量刑上有利な事情として考慮するのも黙秘権保護の観点から許されないとは思う。虚偽の自白をする誘因になってしまう。)
9.前科
前科があることは量刑を重くする方向で考慮できる。
理)行為者の常習性、規範意識の欠如による法律軽視の度合いが大きいといえること、これらの事情から犯罪の危険性が大きいこと、再犯可能性、矯正可能性すなわち特別予防の観点から、重い刑罰を科す必要があるため
なお、前科というのは、「前科の犯罪事実と再犯の犯罪事実との関連性・類似性」が必要なので、前後の犯罪の時間的間隔、二つの犯罪の動機の異同、犯罪に至った経緯をよく見て再犯に至った行為に対する非難の程度が明らかにされなければならない。(古い前科でも、量刑を重くする方向で考慮されたり、考慮されなかったりする。)
→検察官としては、前科というものはその存在自体が重要なのではなく、それが今回の犯罪に対する非難や被告人の更生可能性にどのように結びつくかという観点から考察しなければならず、弁護人としても、前科が考慮されそうな場合、結果の重大性、非難可能性の程度、特別予防のいずれにも結び付かないことを弁護人としては立証・説明しなければならない。
10.被告人が若年であること、成育歴
(1)被告人が若年であることは量刑を軽くする方向に働く
理)人格が未熟で法律違反をするかという判断能力が弱く、交友関係次第で法律違反をするということがあるため、法律軽視の度合いが低いといえる。また、若い場合には可塑性に富むため、教育による更生可能性が高く、特別予防の観点から量刑を軽くしてよいと考えられている。
→ただし、このように、量刑の本質にかかわる主張をしなければならないため、単に「被告人は若い」というのではだめである。量刑の本質を踏まえたうえで、当該事案における責任非難の程度ないし特別予防の必要性に関する具体的な事情を指摘して主張しなければならない。
(2)被告人の成育歴についても内容次第では量刑を軽くする方向で働く
理)内容次第では、責任非難の程度更生可能性に結び付くため
→これも、当該事案における責任非難の程度、特別予防の必要性に関する具体的事情を指摘して主張しなければならない。
例えば、自分の子供に対する傷害事件で犯人となった親が被告人となった事件でも、「被告人は生まれた時から、親から暴力を振るわれ続け、それを教育やしつけとして、学んできてしまっています。そのため、自分の子供に対するしつけとして、暴力に頼る以外の方法を知らず、今回のような犯罪に走ってしまいました。そのため、被告人は悪いことだと知っていても、法律を軽視してこのような行為に及んだのではありません。」などの主張をする(ということだろうか?)。